2019年7月に「バテについて考える」というタイトルで記事を書いたことがあります。
簡単にお話すると、トランペットを吹いていて口の周りが疲労してくるなどの理由で、音が一時的に出せなくなったり、ノイズが異常に発生したり音域変化のコントロールが思うようにいかなくなる悔しい状態を「バテ」と呼びます。
トランペット奏者は人間である以上演奏レベルなど関係なくこのバテと常に隣り合わせでいるわけで、「バテない」を目指すのではなく「バテにくい」を目指すことが大切です、という話をしました。
さて、今回改めてバテについての話題を出したのは、考え方のひとつを補足したかったからです。
というのも、以前の記事でもレッスンでも私は「無駄な力を使えばそれだけ筋力バテが起こりやすい」とお話するのですが、この言葉には誤解を招く恐れがあることを最近実感しています。
これは決して間違っているのではありませんが、この言葉を聞くと多分皆さんもこのように考えてしまう可能性があります。
「では使わないほうが良いのだ」と。
しかしこれはとても危険な発想で、そもそも本来必要のない筋力を使ってしまうのは、加減やベストバランスがはっきりしていないからであって、その状況で「使わない方がいい」と解釈してしまうと今度は「使わなすぎ」になる可能性が高くなるのです。
[使わなすぎで何が起こるのか]
本来必要である筋力を使わないと何が起こるのでしょうか。
結論から言うと、他の部分が発動してしまいます。
トランペットを効率良く演奏するには、唇などの部分の位置や用意する分量、それらを何らかの状態でキープしているそのバランスであって、正解は1つではありません。様々な条件バランスで音は出ますし、演奏も可能です。そうした条件がいくつもある中で、奏者自身が自分に最もベストな条件やバランスを見つける必要があります。
そんな中、本来必要な部分が少なかったり働かなくなると、当然その状態では音が出ません。しかし、その時の奏者の意思や目的が「とにかく音を出すこと」なので、無意識に手段を問わないモードになり、無理矢理にでも音を出そうとしています。
結果、必要な部分が働かないのであれば他の部分でそれを補おうとし始め、かえってバランスが崩れたり、未知なるセッティングになって、いつも以上に早くバテてしまったり、これまでのベストなセッティングがわからなくなって調子を崩すなどが起きるのです。
筋力というのは使い慣れている人にとっては大したことない使い方と感じても、その部分の筋肉をあまり使わない人にとってはとても大変な思いをしなければ使えない(維持できない)ものと感じるために、その加減には必ず個人差があります。
逆に、使いすぎていることに慣れていると、その力を抜くことが不安へつながったり、極端に使わなすぎることもあるので、本当に厄介です。
さらに、筋肉というのは特定の一部を意識的に使う、などと器用なことはできません。様々な部分が連動しますし、皮膚的な感覚も人それぞれです。
レッスンでもその筋力差を考慮してセッティングや腹筋についてお話しますが、筋力の感覚まではどうしてもわからないので、最終的には自分のベストバランスを見つけていくしか方法がありません。
[常に音楽であるように]
こういったバランスを見つけていこうとすると、意識をフィジカル(肉体)にばかり向けて「ここの部分をこれだけ使って、ここは使ってはいけないから、ええとええと…」となりがちですが、この状態ではまず絶対パニックになります。なぜなら「音楽」がないからです。
ここで言う音楽とは、例えば音色の美しさだとか、イメージする演奏が実現できているかを客観的に聴く力です。
結局のところ、安定した演奏だと聴く人が感じるかどうかが重要なので、そのために必要な筋力は、自分では使いすぎではないかと思っていても、必要分である可能性が高いのです。そして、自分が最も安定している状態は、常に研究して、より良いものを見つけていく必要がありますから、絶対的な正解を求めるのではなく、常にその時のベストな音楽を表現し続けることに意識を向けていくことが大切だと考えます。
ということで、少々抽象的なお話になってしまいましたが、レッスンや誰かのアドバイスで「脱力」などの言葉を言われた際には、鵜呑みにして力を抜くのではなく、何がどれくらい必要かを研究するようにしてみましょう。
今回はここまで。
また来週!
荻原明(おぎわらあきら)
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