楽譜通りに演奏する。いわゆるクラシック音楽や吹奏楽曲などでは大変重要なことです。
楽譜に書いてあるものを演奏する際、そこに書かれた情報をできる限り正確に演奏していくための理解と練習はとても大切な時間ですが、この時の構図は「楽譜(作品)と自分(演奏者)だけが対峙している(向かい合っている)状態」です。
作曲者は作り上げた作品を、ほとんどの場合楽譜に記録する手段を取り、不特定多数の人へ伝えます。したがって演奏者はその楽譜を読み解くことで作品を理解する。この構図が最も一般的です。
楽譜から音、テンポ、拍子、楽語などいくつもの情報を手に入れて作曲者がどのようなイメージを持って書かれているのかを想像しながらまずは正確に、楽譜の読みミスがないよう、正しく表現していくわけですが、これを「練習」と呼びますね。
練習をして楽譜に書かれている通り演奏ができるようになった!完成!...
...この流れで本当に良いですか?違いますね、とても大切なものをひとつ忘れています。
そうです。音楽には楽譜(作品)と、それを演奏にする演奏者、そして「その演奏を聴く人」の存在が不可欠なんです。
音楽が成立する構図を確認しましょう
音楽は、
1.作曲者が作品を作り(楽譜)
↓
2.演奏者が楽譜から読み解き(演奏)
↓
3.不特定の人がその演奏を聴くことで作品と奏者を知り、何かしらの印象を持つ
このようになっています。一方で同じ芸術分野であっても絵画や書などは、
1.作者が作品を作る
↓
2.不特定の人がそれを見ることで何らかの印象を持つ
というシンプルな構図になっています。
演奏者の立場
もしも演奏者が作品の存在を知ってもらうためだけの昔の琵琶法師のような存在だったとしたら、少人数で十分足りてしまいます。しかし、演奏者はそれだけのために存在しているのではありません。演奏者は、
「演奏者が作品をどのように解釈し、表現するか」
これを期待されている存在でもあることを自覚する必要があります。これこそがが(いわゆるクラシック)音楽の醍醐味のひとつなのです。
例えるなら、農家の人がニンジンを作り、それをたくさんの料理人が様々な調理方法で飲食店で提供する流れに似ています。同じニンジンでも楽しみ方は無限にある。たとえ同じ調理、同じメニューであっても作る人によってそれらの味や見た目が変わり、そのどれもが(願望も込めて)魅力的です。
クラシックの世界で同じ作品を何度も繰り返し演奏され続けているのは、「このオーケトラとこの指揮者で演奏するベートーヴェンの交響曲に興味がある」とか「この人の演奏するあの作品を聴いてみたい」という理由があります。奏者が変われば作品解釈も表現も変わってくるので、何度も楽しみがあるわけです。当然作品そのものを楽しむ(奏者は特に気にしていない、初演作品などはこれ)とか、奏者の演奏そのものを楽しむ(作品は特に気にしていない、リサイタルなどはこれ)、ということもあります。
話を戻します。このブログをご覧くださっている方は、きっと奏者として音楽に携わっている方が多いと思うので、ぜひ覚えておいていただきたいことがあります。それは、
『作品を作り上げていく練習でも、常にその演奏を聴いてくれる人がそこにいる、とシミュレーションしながら演奏してほしい』
ということです。「この表現で自分が伝えたいイメージをお客さんに届かせられるだろうか」そうした意識を必ず持って曲作り、練習を進めて欲しいのです。吹奏楽でのパートのひとつであっても、です。
個人練習をしていると意外に忘れていまう音楽の本来の構図をもう一度思い出し、どんな時でも意識できるようにしておきましょう。
荻原明(おぎわらあきら)
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