今の若い人たちには理解してもらえないと思いますが、昔は目標を達成するためにモーレツに、ガムシャラに、血の汗流して涙を拭かずに、寝ても覚めても、いや、寝ている暇があったら努力をしなさい、欲しがりません勝つまでは。みたいな精神を「努力」とされている時代が実際にありました。
戦争の影響によるもので、子どもへ対する教育も当然そうだったわけで、当時の子どもが大人になっても、その精神は簡単に変わることがありませんから(教育って怖いですね)、そうした大人から教育を受けた子どもたちも当然影響を受けるわけです。その子どもの世代の末端が僕なんです。
だから僕が中高生の吹奏楽部もそんな感じでした。まるで軍隊みたい。
僕は反動でそういうの大嫌いになったんですが、やはり精神面ではそうしたところが残っていて、いわゆる根性論で何とかしようとするクセのようなもの、例えば楽器は長時間吹いた人が上手になるという発想が、音大に入ってからもありました。確かに長い時間をかけないと学べないことも沢山あるし、課題が多いので結果的に時間がかかるのですが、短時間でできることを時間をかけないとできない、という効率の悪さは何とかすべきだったと思います。
今回は非効率的な練習の代表格、「数撃ちゃ当たる練習」についてのお話です。
数撃ちゃ当たる習慣
「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」ということわざがあり、そこから勝手に名付けました。
これは、難しい箇所、苦手な箇所をただ何度も何度も繰り返し吹いているだけの練習習慣です。
迷子になった時にやみくもに歩き回っていたら目的の場所に辿り着いてしまった。何で?みたいなものですから、仮にこの練習で吹けるようになっても、その理由が明確ではないために、同じような場面に再び遭遇すると、また一から練習をしなければならない(というかそれしか発想がない)ために、大変に時間がかかってしまいます。
このような非効率的な練習は避けたいですね、という話もしたかったのですが、本題はここからです。
練習の実感を求めているだけかも
この練習習慣の最大の問題点は「結果よりも実感優先」であることにあります。「自分、今頑張ってる!」という実感に酔いしれることで充足感を得ているので、結果が二の次なのです。
そして、無我夢中で何度も繰り返し吹くために、演奏する上で最も重要な音を出すまでの基本動作「セッティングルーティン」が崩れてしまうところも問題です。唇がマウスピースに延々とくっついていたり、呼吸が乱れるなどのフィジカル面の崩れもありますし、そもそも達成する音楽の具体的なイメージがない場合が多いので、結局今モーレツに吹いている理由がハッキリしていないのです。
でもヘトヘトになるので「今日も練習した!」と結果が伴っていないのに満足してしまうのです。
いかがでしょうか。今回の話は昔の自分のことをそのまま書きました。
根性論では上達は難しいです。もちろん、その場から簡単に逃げないで頑張るために根性が必要な時もありますが、何でもかんでも根性で通すのは避けるようにしたいところです。
荻原明(おぎわらあきら)
[募集中]第5回トランペットアンサンブル講習会「リハーサルシミュレーション(曲作りの流れ)1」5月21,22日開催!
第5回目のテーマは、メンバーが各自譜読みをして初合わせをスタートさせるところから始まり、曲を完成させるまでの効率的な練習方法について行いう「リハーサルシミュレーション」です。
指揮者のいない室内楽(アンサンブル)は合わせ練習の進行に慣れていない方が多いので、ぜひ今回の講習会でそのポイントをおさえてください!
[開催日と募集人数]定員4名
5月21日(土)15:00-16:30(あと3名募集)
5月22日(日)13:00-14:30(あと1名募集)
詳細、お申し込みはプレスト音楽教室オフィシャルサイトにて
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