#054.暗譜について考える

あなたは暗譜で演奏する派ですか?


楽譜というのは不思議なもので、じっくりじっくり見ていると今まで気づかなかったことがハッと見えてくることがよくあります。


僕はたまに編曲をします。とは言っても管弦楽作品を吹奏楽に書き直すなど、トランスクリプションがメインです。ただ、適当に音をちりばめていくような簡単なものではなくて、バランスや響き(音色)とか、楽器それぞれの都合や連携などを考える必要があります。苦労したわりにはそれほど聴く人に直接理解してもらえることはないのですが、「何か聴きやすい」「気持ちが良い」印象は、そうした細かな配慮にあると思っています(そこまですごく良いものになってるかは定かではありませんが)。


そのようにひとつの作品の楽譜をずっと見て編曲をしていると、作曲者がそれぞれの楽器に何を求めているのか、どのような結果を求めているのか、といった意思が見えてくることがあります。


楽譜は演奏に関する情報の集約です。ただし、そこに作曲者の思いやイメージ全てを書き込むことは不可能ですから、妥協して記号を選択したり、言及していない部分、奏者に任せる(期待している)!といわんばかりの部分、(その作曲家からしたら)常識すぎて面倒だから何も書いていないのかな、と思うのもあれば、神経質だなあ、と思うくらい細かく全部書き込む人もいるし、その理由が教育的配慮だったりとか、同じ「楽譜」という五線に並んだ音符のデータでも、じっくり読み込むと見えてくることがたくさんあるのです。


演奏者はそこにどれだけ気づくかがポイントで、作曲者自身や作品の背景について調べたり学んだり、自身のイメージを膨らませたりして、完成につなげていきます。


楽譜はそのための重要なデータですから、できる限り活用したいものと考え、私はレッスンで生徒さんに「楽譜を見て演奏(練習)しましょう」と言っています。


特に初心者の方や楽譜に苦手意識を持っている人、お子さんほど楽譜を見ないで「音符の順番を覚えよう」としている傾向にあります。これはよろしくない。


一方で「演奏する際は暗譜をすべき」という先生も大変多くいらっしゃいます。その方々は、まさに私が今言ったように、楽譜に書かれているデータだけを羅列しようとする「作業」になってはいけない。音楽は心から作り上げていくものだから、という考えが込められているのだと思います。ですから、そうした考えのもと、暗譜で演奏することを心がけるのはとても素晴らしいと思いますし、その訓練をすることも含めて、ひとつの理想です。


指揮者にネルロ・サンティをいう方がいらっしゃいました。先日惜しくも亡くなってしまいましたが、N響にエキストラとして参加させていただいた数回、サンティ氏の指揮で演奏をしたことがあり、その時に驚愕したのがマエストロは指揮台に小さなポケットスコアがちょこんと置いてあれど、それをリハーサルの間も一切開かないのです。しかし、どのパートが何をしていてるのか、音符やアーティキュレーションだけでなく練習番号の位置までもすべて把握していました。暗譜とは究極、こういったことだと思っています。


結局のところ、どちらも「音楽的であれ」という目的に向かっていて、方法が二極化しているにすぎないわけです。ですから、音楽をする上で大切なことが何かを理解していればどちらでも問題ない、と私は思っています。


しかし、私が暗譜で演奏することに違和感を覚えるのは、吹奏楽で全員が楽譜を見ずに演奏している状態です。譜面台そのものを置かない団体もあれば、譜面台はあれど最初から最後まで全員が指揮者をロックオンしている団体もありますが、どちらにせよ違和感の塊です。


音楽の生演奏は、完全な予定調和は考えられません。演奏するたびにいろいろと(理想としては)良くなっていくものです。それは各奏者は常に良いものを発信、主張していこうとする姿勢から生まれるものであって、ということは予定調和で決めたことだけを何度も同じクオリティで演奏することにはならないのです。「はい、もうこれで完成です。これ以上何か余計なことしないでね」なんて、絵画だったらあるかもしれませんが、音楽は常にアップデートしたり変化していくものです。


実際どのように考えているのかわかりませんが、大人数の演奏で全員が暗譜をしている違和感は、プログラミングされた奏者が指揮者の動きに操作されているような気がしてならないからだと思います。


いずれにせよ演奏とは、楽譜に書かれている情報を左から右へと並べていく作業ではありませんから、これから演奏する作品をまんべんなく消化し、「今回は」どのように演奏するのだ(ただし選択肢の分岐はたくさん用意している状態で)と決定しておくものだと考えます。


ですから暗譜とは「音符の羅列を暗記する」ことではなく「作品を消化吸収する」「作品そのものを理解する」ところまで辿りつかなければならないことであると考えています。そのための訓練としての暗譜演奏は大切な練習です。



ということで、今回は暗譜についての持論を書いてみました。考え方はいろいろあると思いますので、あくまでも参考程度に捉えていただければと思います。


それではまた次回です!




荻原明(おぎわらあきら)

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隔週土曜日の朝更新トランペットと音楽についてのブログ「ラッパの吹き方:Re」 タイトルの「Re」は「Reconstruction(再構築)」とか「Rewrite(書き直し)」の意。 なので「ラッパの吹き方 ”リ”」と読んでください。 荻原明(おぎわらあきら):トランペット奏者、東京音楽大学講師、プレスト音楽教室講師