#056.楽譜の書き込みについて その2(書き込むべきでないもの)

前回、楽譜には必要最低限の書き込み以外はしないようにしましょう、というお話を書きました。今回はその続きで、書いてはいけないものと、その理由について解説します。それぞれの対処法については次回の記事で詳しく解説します。


なお、前回の記事はこちらからご覧いただけます。合わせてお読みください。




[時間を必要とする書き込みはNG]

例えば皆さんが車や自転車を運転していたとして、走行中に何やら長々とした注意書きが書いてあるのを見つけても読めませんね。強引に読もうとすれば、そこに意識が集中して事故を起こしてしまうかもしません(その注意書きが「事故注意」の内容だったらギャグにもならない)。ではどうするか。読まないでスルーか、読むために立ち止まる必要が出てきます。

音楽は時間芸術です。始まったノンストップの音楽は、自分で勝手にブレーキを踏むことはできませんから、読んだり理解するための時間は可能な限り短くする必要があります。したがって、楽譜に文章を書くこと、短くても読む必要のある日本語を書くこと、わかりにくい表現は書かないようにします。楽語(marcatoとかsimileなどの文字)の日本語訳を書き込むのも「読む」行為が発生してしまうためNGです。



[想像力を制限してしまう書き込みはNG]

音楽を演奏している時にはその作品を表現することに集中すべきで、「ここ頑張る!」とか「絶対に音を外さない!」「集中!」「一音入魂」...コンクールは今年度中止になってしまいましたが「目指せ全国大会」とか、演奏者自身への精神的メッセージの書き込みは避けるべきです。音楽(演奏)を聴いている人は音楽を楽しみたくてそこにいるのであって、奏者の苦労や努力している姿を前面に出して手に汗握ってもらうことは音楽には求められていません。スポーツとは違うのです。



[当たり前のことは書かない]

例えば「テンポ!」「音程!」といった書き込み、これはNGです。理由は当然だからです。テンポについて意識すること、音程感の良い演奏を心がけることは、奏者が常に持っておく基本中の基本であり、そして前面に出して表現することではないので、敢えて書き込んでしまうと演奏表現をするための心や頭の中のバランスが不安定になってしまいます。

そもそも、「音程!」と書いたところでそれをどうするのですか?書くことで解決する魔法の呪文であればそれもいいですが、もし「音程!」と書いてそれで音程が良くなる術を知っていたとしても、奏法について意識が向いてしまえばそれは上記のように音楽表現すべき時間、お客さんへ向けるべき時間を自分のためだけに費やす瞬間が生まれてしまうわけですから、決して良いこととは言えないのです。「音程!」と書いて音程が良くなるのであれば、「音程!」と書く前から音程が良いと思いますし…そう考えると書く意味って何だ?となりますよね。



[音符に「↑」「↓」を書く行為はNG]

音符に「↑」「↓」を書く行為はNGです。吹奏楽部にとっても多いこの上下の矢印、合奏で、ある部分の和音を確認した際、ピッチがチューナー的に不安定だったことで「高い/低い」と言われたか、純正律のハーモニーを作り出すための作為的な指示を受けたために書き込んだ記号だと思いますが、いずれにせよ、和音ひとつのクオリティ(ピッチ)をこだわってしまうのは、音楽の流れ、具体的は「和音(コード)」ではなく「和声(コード進行)」に意識が向かなくなることにつながります。

それが結果的に音楽の流れを不安定にさせていることに指導者がまず気づかなければなりません。音楽は美しい横の流れ(音程)を各奏者が意識するところから始まるべきです。したがって単音に対してピッチを高く低くする行為は避けるべきです。



[印刷にかぶる書き込みはNG]

書き込みはそもそも「追記」なのに、元の情報が読み取れないようではそれはまったく意味がありません。苗字の上に名前を書くようなものです。塗りつぶすような行為も当然NGですし、ひとつの音符をグルグルと丸で囲んでしまうと(何の意味でそうしているのかわかりませんが)、その前後が消えてしまうので良くありません。

書き込みは、印刷された部分に可能な限り接触しないことを基本として覚えておいてください。



[否定、禁止の内容はNG]

「〇〇しない!」とか「〇〇禁止!」のような否定的な表現を楽譜に書き込むのはNGです。

人間の脳は否定を瞬時に受け入れることができない構造になっていて、例えば「美味しそうなケーキを食べている自分を想像しないでください」と言われて、イメージをすっかり脳内から削除することはできませんね。いつまでも美味しそうなケーキが悶々と頭の中から抜け出せず、今すぐコンビニに走りたくなってしまう方もいらっしゃるはずです(私です)。

もしも楽譜のどこかに「(テンポ)走らない!」と書いたとしましょう。それを見た瞬間、頭の中には「走ってはいけない、走ってはいけない」という思考に支配され、一体何をどのようにして走らない演奏をするのか、その具体策も方法も実践もできないままに、「走らない走らない」と唱えるだけで、結果的にいつものクセで走ってしまったり、強制的にテンポをコントロールしようとした結果、非音楽的な演奏になることも予想されます。

ですから、演奏している最中に見る楽譜に「〇〇しない!」という書き込みは、願っていない呪縛が起きるために逆効果です。

禁止事項を認識するには、その理由と理屈を正しく理解した上で習慣化し、方向性を定めるためにとても時間がかかります。



[小節数をすべての小節に書き込まない]

これも吹奏楽部に多いのですが、数小節に一度書かれているプラクティスマーク(練習番号、リハーサル番号)以外に、すべての小節に小節数を書き込むのは私は良いことだとは思えません。

そもそもなぜこのようなことを吹奏楽部、特にコンクール曲に対して行っているのかと考えると、多分、合奏中に指揮者が「15小節目から!」と言った瞬間、「15?15ってどこ?3,4,5,6…」となって「あああ!!おまえら何ですぐ場所がわからないんだ!時間がもったいない!!全小節に数字書き込んでおけ!」とか言ったのがきっかけなのでしょう。


近年の出版譜は各段の左側に小節数の記載がある場合が多く、スコアは1ページに載る小節が少ないですから、すぐに小節数が見つけられるのに対し、パート譜は長休符があったりと、小節番号で指示されると意外とやりにくいことが多いのです。スコアを見ている指導者にはそのギャップを理解して欲しいと思いますし、常に奏者が快適でいられるように状況のセッティングをすることも指導者のスキルだと思っています。スコアだけでなくパート譜を数パート分、事前に確認しておくくらいの学習は指導者にも必要だと思います。パート譜の書き方は出版社や作曲者や浄書屋によっても大きく異なるので。


また、演奏開始箇所の指示は、極めて丁寧に誤解がないように心がけるべきです。「いいですか、数えてください。練習番号a,b,c…D(デー)、ディズニーのDから先、数えて1,2,3,4…5小節目からスタートします(これを簡略化してもう一度言う)、アウフタクトがある木管楽器の方は1拍前からお願いします。いいですか?」これくらい丁寧に毎回言うことで間違える人が断然少なくなるし、かえって効率的になると私は個人的に思っています。


それはそれとして、なぜ小節数を書き込んではいけないのかと言いますと、楽譜には数字が様々な用途で記載されているからです。例えば連符。数小節演奏しない場合の長休符。あとはドラムや太鼓系の打楽器には多い、1小節内の演奏が何度も連続する場合の省略表記をする際、何小節同じことを繰り返すのかをそれぞれの小節に2,3,4,5と数字を書き込むことがあります。そのように数字は何か演奏上の意味があるものとして視界に入ると認識しがちなので、小節数という演奏中には本来必要ないものは楽譜にできるだけ書き込むべきではないのです。


理由はもうひとつあります。大概の楽譜というのは、ポイントポイントにプラクティスマークを記しています。ABCだったり1,2,3だったり、それこそ小節数だったりもします(16,80,128など)。このプラクティスマークが記してある部分は、「音楽的にキリが良いところ」です。練習する上で、この部分から始めると合わせやすいからその場所に書き込まれているわけで、作品のターニングポイントなど、重要な位置の確認ができる記号でもあるわけです。それなのに全部の小節に数字を書いてしまえば、どんな場所からもスタートできてしまい、フレーズの切り替わる部分の認識や場面転換の意識が薄らいでしまうことも考えられるのです。


合奏で曲作りをする上ではできる限りリハーサル番号を尊重した毎回のスタートを実施すべきだと思います。



[指番号や音名を書き込まない]

初心者の方やオーケストラで演奏されているトランペットの方に多いのが、指番号(ヴァルブ番号)の書き込み。


楽器を初めて間もない方は確かに音符を見てすぐにどの運指でそれを出すのかわからなくなるのはしかたがないですし、場合によっては書き込んだほうが便利な場面もあるかもしれません。しかし、書くことが当然になって習慣化したり、楽譜の音符すべてに書いてしまうのは避けるべきです。ずっと同じ音が連続しているときにご丁寧に「1,1,1,1,1,1,1,1」と書いてある楽譜を見ることも少なくありません。


なぜ書かないほうがいいのか。それは指番号を書いてしまうと、楽譜に視線が向かなくなってしまうからです。


楽譜の奥には書き込まれていない情報、作曲者からのメッセージがたくさん含まれていて、楽譜の中から自分のイマジネーションや音楽的な力が生まれてくる場合も多いわけですから、指番号ばかり見ていると、単に音を再現することばかりに意識が向いてしまうので音楽にならないのです。


同様に、オーケストラのトランペットは吹奏楽と違ってすべてin Bではなく、様々な移調譜を読まなければならなくて大変なので、ついつい指番号や音名(ドレミ/CDEなど)を書き込みたくなるその気持ちはとてもよくわかるのですが、同じ理由でこれも極力避けて欲しいと思います。



さて、このように書き込まないほうがいいものとその理由を並べてみました。ダメダメばかりであまり気分の良い記事ではなかったかと思いますが、それを払拭するための解決編を次回きっちりとお話しますので、引き続きお付き合いください。

それではまた来週!




荻原明(おぎわらあきら)


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隔週土曜日の朝更新トランペットと音楽についてのブログ「ラッパの吹き方:Re」 タイトルの「Re」は「Reconstruction(再構築)」とか「Rewrite(書き直し)」の意。 なので「ラッパの吹き方 ”リ”」と読んでください。 荻原明(おぎわらあきら):トランペット奏者、東京音楽大学講師、プレスト音楽教室講師